1000人収容可能の大劇場、大広間、大浴場、レストラン、動物園、野球場までもがそろった総合リゾート施設でした。 創設者は関東大震災の復興で大もうけした材木商。国鉄の金沢駅から粟ヶ崎、内灘までを結ぶ浅野川電気鉄道(現在の北陸鉄道浅野川線)の社長となり、鉄道の敷設と遊園の建設を同時進行させました。劇場には一流の役者が出演し、少女歌劇団も結成され、粟ヶ崎遊園は「北陸の宝塚」とまで呼ばれました。 とは全て、他のサイト様の紹介をペーソス・コピーさせて頂きました(笑 さて上の画像は、何の変哲も無い、ただの倉庫跡。 実はここに、↓に掲載した「入り口・跡」が残されておりました。 何故に、こんな倉庫の敷地内に、貴重な跡が移築をされていたのかは、不勉強ながら、損じませんが、とにかく。ここに数十年の間、ひっそりと、観光客さえも寄せ付けずに、残されておりました。 がしかし。「それでは、いかん」と町長が言ったのか、どうなのか。保存しようと言う動きが始まり、今ではこうして、公園内に移築されて、余生を送っている次第です。 場所。内灘町資料館に隣接する公園内に有ります。
by catsuzumoto
| 2005-04-21 19:02
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